Bar N|美意識を味わう

2015-10-06

いつもと違う街に行った時、私は必ずその街のバーに立ち寄るようにしている。
知らない街の知らない酒場で、知らない常連たちの会話に耳を傾けながら飲む酒と吸う葉巻は格別の味わいがあり、旅情が増す、と思う。
みな”東京が最も洗練されている”というが、東京出身の私はそうは思わない。
名古屋にある「Bar N」なんかは、その筆頭であるとはっきり断言できる。

伏見駅からほど近い飲み屋街にある雑居ビルの2Fにその店は存在する。
まず、ご覧頂きたいのがこのバックバーである。
息を呑むほどに美しいディスプレイであり、ほぼ全てのボトルからラベルが廃してある。
ボトルの形も実に様々だ。聞けば、オリジナルのボトルから、形状が気に入った他のボトルに内容物を移してディスプレイしているものもあるという。また、ラベルを廃していることについては、
「お客様にお出しする際、ラベルがついているボトルから注ぐのは失礼だと感じることがある」
という理由から、とのことだ。極限までに研ぎ澄まされた美意識とこの上なく洗練された価値観だ。

なんとなくおまかせでフルーツカクテルを頼んでみる。
よく、「バーテンダーの技量をはかるにはジントニックを頼むのが一番」といわれるが、私はジントニックよりフルーツカクテルに技量は出ると思っている。
程なくすると、ベリーニが供される。ステアが多めで、炭酸感が抑えられている。
口に含むと、実に繊細かつニュートラルで非常に香りが立った味わい。
葉巻は、ベグエロスのマニャニタスをチョイスしたが、ややこの繊細なカクテルの味わいに対して強すぎるきらいがあるか。
つまみは、ブルーチーズやミモレット、枝付き干しぶどうなどの定番でありながらも選びぬかれたものが小皿に必要十分な量が盛られて出される。
またマスカットが一粒、可愛い陶器製の小皿に乗せられて、時間差で出されるところも、実にセンスがいい。


 

続いて二杯目、甘く強い酒を、とオーダーしたところ、ベルモットにブランデー、そしてサンタ・マリア・ノヴェッラのアルケルメスというリキュールをシェイクしたカクテルが、1800年代の重厚なグラスに注がれて供された。
葉巻もラストに近づいており、このようなアルコール度数が高く甘く、濃厚な酒は実によく合う。

しかし、このリキュールが実に素晴らしい。
カンパリに似ているが、バラとクローブとシナモンの香りが強く、人工的な苦味がキャンセルされていると表現すればお分かりになるだろうか。
サンタ・マリア・ノヴェッラ社は世界最古の薬局であり、アルケルメスには薬効成分のあるキニーネが配合されている。
15世紀にレシピが完成して以来、それを忠実に守って生産されており、年間の生産本数はなんとたったの15000本ほどだという。
貴重かつ高価なリキュールだが、それをチョイスするマスターの審美眼に、脱帽するばかりである。
バックバーへのディスプレイには、もともとバルサミコ酢が入っていた小さく可愛いボトルが使われていた。
それをきっかけに、「熟成されたバルサミコ酢をカクテルに使ったらどうか」という話題で盛り上がり、名古屋の夜が更けてゆく---。

〆の三杯目、再度フルーツ系のカクテルをオーダーすると、和梨である豊水とジンのカクテルが無駄を配したスマートな所作ののちに目の前に現れた。

マスター曰く、梨の種類によって人を使い分けるという。和梨にはエギュベルのような香り高いジン、ラ・フランスなどの洋梨にはタンカレーなどの、マスターの言葉を借りると「直線的な香りのする」ジンを使うという。
飲んでみると、梨のフレッシュさが口いっぱいに広がった後、遅れてジンの香りが梨畑に彩りを添える。そしてアルコール感が味に質感をかたちづくり、舌の上に味覚のピラミッドを形成し徐々に消えていく。完璧だ。

しかしこのグラスと一切の曇りのない氷、注がれた酒の色合い、そしてバックバーとそれが映り込むカウンターの美しさはどうだろう。
物体の質感がリアルに表現され、まるで海の中の誰も知らない洞窟にある香水美術館である。
美しさと香りという要素を極限まで突き詰めた、あまりにもストイックかつ一定の高みに達したものだけがもつ全てを受け入れる包容力がある芸術的とさえ言える空間であった。


東京以外の場所にも完璧なバーというものは存在する。
いつもと違う知らない街でバーを探し、いつもと違った新鮮な体験を得よう。
日々の生活の中で知らぬ間にすり減って失いかけていたあなたの興味を取り戻し、
日々の生活の中に新たな感動を与えてくれるでしょう。

 

【Bar N】(バー エヌ)

愛知県名古屋市中区錦2-10-24 プリンター第一ビル2F
営業時間:19時〜3時

電話番号:052-221-7558

定休日:月曜日