Bar d|あるいは、天国は江ノ島に

2015-12-06

シガーバーというのは基本的に薄暗く、そして内装は往々にして重厚である。
ウッド、石材、レザー、アイアン、そういった素材を量感豊かに見せることに重きを置いた空間づくりであるように思える。
無機質なプラスチック、異常なまでに人工的な明るさの蛍光灯、周囲からの騒音、そういった環境のオフィスに晒された後に内装の設えがいいシガーバーに訪れると心からリラックスできる。皆様も経験がおありだろう。

しかし、時として地下の、重厚な、薄暗い、穴蔵のような空間が重苦しく感じることがある。
郊外に出向いた時、緑の中で吸う葉巻の、あの独特の生き生きとした爽やかさを感じたくなる時があるのだ。
バーでも自然の景色を見ながら、自然の光のなかで葉巻を味わいたい。そんな要望を満たしてくれるのが、ここ片瀬江ノ島はBar d(バー・ディーはなく、バードと読む)である。

片瀬江ノ島駅から徒歩30秒程度の一軒家の1階が店舗であるが、初見では判別するのは難しく、場所柄やその温かみのある外装の設えから、天然酵母のパン屋さんなんだろうか、と思ってしまうことは必至だ。
店内へのアプローチは、ちょっとしたスロープを通ることになるが、ここもあまりバーらしくない。

入店すると、実に端正な空間が広がっていた。
綺麗に磨きぬかれたバーカウンター、温かみを感じられる木のフロア、繊細なデザインの照明器具、ステンドグラスの向こうには川面が見える。

境川という川であるが、河口に近いせいか川面はほぼ凪いだ状態を見せ、そこに街の光がゆらゆらと揺れている。
こんなバーがあるなんて素敵だ。いわゆる「本物の」バーで、こんなアプローチのお店は過去あっただろうか。
湯布院の「おやど二本の葦束」に併設されている「Bar Barolo」は由布岳を借景に葉巻と酒を味わえる稀有なバーであったが、そこは土地に恵まれた大分だ。
関東近郊、東京付近では実際のところ、Bar d以外存在しないのではないか。

ステンドグラスのすぐ隣には、ソファが据えてある。
ここに深く腰を据え、鮮やかだが奥深いターコイズ・ブルーの壁を眺めると、灼熱の太陽光を受けて輝く、キューバの民家の壁面を彷彿した。
入店してから感じていた空間のエレガントさは、この鮮やかな色使いにあったのだ。
日本人離れした、実にセンスの良い色彩感覚である。

早速オーダーに入ろう。もともとBar dは、銀座Dolphyという名店のオーナーである田辺氏が開業したお店だ。甘い酒、古い酒を得意とし、焼き菓子やケーキ等との相性を究極に追求した、葉巻好きとしてはただただ沈黙するしかない味わいの組み合わせを提供してくれることで有名である。

一杯目、名前を失念したのが悔やまれるがラムベースの爽やかな味わいのカクテル。
うすはりグラスと氷片、そしてカクテルの色が反射し合い、透き通った輝きを見せる。
葉巻はDiplomaticos No.1の2003年製造をチョイスした。

この葉巻は、実は当CigarNavi編集長の五十嵐氏が独自に熟成した葉巻であり、今回の訪問にあわせて提供してくれたものである。
氏の熟成させた葉巻は何度か味わったことがあるが、その喫味は独特なものがあり、味の要素がばらけずに個々のまとまりが立て続けに舌を弾んでいく感覚がある。
この葉巻に関して言えば、柔らかなナッツのソフトボールが舌で弾けた後、晴れた秋の青空のような清冽なウッディさが口腔と鼻腔全体にたなびく。総じて言えるのは香りが非常に立っており、まるで葉巻全身が力強く香りを発散していようだ。
素直に美味しいと言わざるをえない。強喫煙をすると、また違った白粉やバラ香が顔を見せるが、この葉巻はクール・スモーキングをし、味わいを"取っていく"ような吸い方が適していると感じた。

二杯目は、ポーラー・ショートカット。
コペンハーゲンと東京間を北極周りで結ぶ航空路線(北回りヨーロッパ線、別名ポーラー・ルート)がスカンディナヴィア航空によって1957年に開設された際に行われたカクテルコンテストにおいて、グランプリを獲得した作品である。
ステアは、実に丁寧である。まるで異なる酒の粒子を壊れないように、丁寧に、つなぎ合わせるような動作で酒の攪拌を続け、ある瞬間でピタリとその手は止まり、おそらくアンティークと思しき繊細な彫りのグラスに入れて供された。

チェリー・ブランデーが用いられており、味わいは甘くみずみずしい。
暫くこの酒を舐めるように味わっていると、さりげなく紅茶のシフォンケーキが供される。

「シフォンケーキを口に入れ、直後に少しこのカクテルを口に含み、一緒に咀嚼してみてください」
「そして、飲み込んだ後に葉巻を味わってみてください」

実に痺れる提案である。こんなの、葉巻に合わないわけがない。
たまらず根元近くなってきたDiplomaticosを投げ捨て、田辺氏熟成のLa Gloria Cubana Medaille d'Or No. 1に着火した。
この葉巻も2000年製造品であり、ビンテージ葉巻の特有のテイストである「ガス香」と「キノコ感」が実に鮮やかに表現されている。
長く細い葉巻は筆者の大好物である。ゆっくりと、少しずつ、煙の魔法を味わいながら吸い進めていく。まさに至福の時間であり、これだから葉巻はやめられない。

締めに、年代物のグランマルニエを頂いた。
古いリキュールは何故こうも麻薬的でうまいのか。痺れるようなスパイス感と果実感、そして透明で綺麗な甘みが舌をたなびき、そして舌に残った葉巻の後味を持ち去ってゆく。

古いモルト、ブランデー、年代物のリキュール、そして葉巻、甘いもの。
センスにあふれた鮮やかな店内、そして窓から見える夜の光に揺れる川面。
田辺氏の完璧かつ優しい酒の提案。
あまりにも全てのパーツが揃いすぎている。

葉巻を心から愛し、何か大きな犠牲を払ってその夢のような紫煙に日々塗れている御仁は、行かない手はないと断言できる。
Bar dはあまりにも完璧で、鮮やかで、深い充足感を得ることのできるバーである。
新宿駅の喧騒に耐え、ロマンスカーに乗り、ぜひ期待を高めながらムズムズしつつ、この夢の空間にたどり着き、扉の向こう側へ訪れてほしい。

おっと、重要な事を言うのを忘れていた。
定休日は水曜日である。お間違いの無きように。
可能であれば、行く前に一本電話を入れたほうが確実だ。
また、終電時間はいつもより早いことを念頭に置いてほしい。
うっかり逃すと想像通り悲惨なことになり、余韻どころではなくなる。


江ノ島は、想像以上に遠いのだ。

 

【Bar d

神奈川県藤沢市片瀬海岸2-8-15

営業時間:15時〜0時

電話番号:0466-53-9099

定休日:水曜日

[シガーマップ]「Bar d」のレビュー

 

Text by S.Oya